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Vol. 1「はじまりのはじめに」

ハイサイ、マイクおじさんです。生粋のウチナーンチュ(沖縄の人)ですが、僕をマイクと呼ぶ友 人が多いので、
自分でもそう名乗っています。
どんなヤツかと言う と、何と『やんばる共和国』の大統領です。
と言っても偉いわけで も有名なわけでもなく、ただ楽しいことが好きな普通のおじさんです。
僕は人生をより良く生きるために沖縄本島北部、いわゆる『やん ばる』に住んでおり、とある山の頂を購入して自分のオアシスを作 っています。
そのオアシスこそが『やんばる共和国』です。
まあ、 僕が勝手に名前をつけて勝手に建国する予定ですけど。周囲には 「なんか変なことをしている人だなー」と思っている方も多いと思 います。
元々は那覇で商売をはじめ、飲食店を中心に 13 店舗を展開し、 ビジネスマンとしてはそれなりに成功していました。でもね、その どれもが本当にやりたい事ではない気がしたんですよね。だからそこから飛び出しました。
当然、反対する人もいましたが、 でも自分の人生は自分のもの、好きなように生きるのが僕のライフ スタイルだと分かったんだですよ。他人を気にして生きるのも息苦 しいし、そんな事に慣れてしまうのも勿体ないよね。安定だけを考 えて同じ場所にとどまるのも窮屈だし、失敗を恐れて前に進まない のも後で後悔しそうだしね。
第一、自分に嘘をついてまで安定・安 住・安心の生活にこだわる必要はないと思う。時には放浪者、よそ 者、はみ出し者などと言われても一向に構わない。
自分が楽しいと 思えることをやるのが一番だと思っています。さて、これから僕が大統領になるまでの半生を語ろうと思います。
それが立派な教訓になるとは全く思いませんし、単なる暇つぶし程 度かも知れません。それでもこれを読む人たちに、自分のやりたい 事をはじめる楽しさ、道を切り開いていくことの素晴らしさを知ってもらい、
少しでも元気になればと思っています。
それに『やんばる』も好きになって欲しいんだ。
ここは僕が人生 も半ばを過ぎて、ようやく見つけた大切な場所なんだ。


勿論、幼い頃から知っていた場所なんだけど、何というか、いろ いろな事を経験して、ようやく再発見した場所なんだ。きっとみん なも気に入ってくれると思うよ。そんなわけで、次回から僕の物語をはじめましょうねー。 つづく

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Vol. 4「少年時代」

Vol. 4「少年時代」 優しく吹いてくる心地よい風。 やんばるの小さな島にアロハホテルを開業したのは、 丘の上に吹くあの風のせいかも知れない。 風。 それは言葉通りの意味であり、 楽園や理想郷といった比喩で あり、 幸せの代名詞でもある。 振り返れば、 僕はいつもあの風を求めて旅をしていたように思う。 さて、アロハホテルのことはいずれ話すとして、 僕が最初にあの風を感じた少年時代から 物語を進めていきましょうねー。 僕は那覇で生まれてその街で育った。 戦後はだいぶ混乱していたものの、 人々の混沌としたパワーが一気に経済に進み、 日本全体が活気で溢れ、 ご多分にもれず那覇の街も賑わっていた。  1973 年まで続く高度経済成長期に十代を過ごした。 父は叩き上げの職人で、 独学で仕事を学び苦労しながら設備屋になったらしい。 昼間は建築現場でおおいに働き、 夜は桜坂でおおいに飲んだ。 母は「サザエさん」に登場する フネのような古風な女性で、 気品があり清楚でありそして寡黙だった。 そんな母は亭主関白だった父を 文句も言わずによく支えていた。 僕たちの家族は決して裕福ではなかったけれど、 みんな豊かで真っ直ぐと生きていた。 それがあの時代の一般的な家庭だったように思う。 ある日、父が家族でドライブに連れて行ってくれた。 初めての遠出は本島北部・羽地にある源河川だった。 街で育った僕はやんばる(山原)に行くのが新鮮だった。 車で街を離れると次第に交通量も減り、 視界が広がるのを感じて いた。 色彩もゆっくりと変化して緑がより深く濃くなっていった。 僕は移りゆく風景を車窓からぼんやりと眺めているのも好きだった。  やんばるに着くと源河川でバーベキューをした。 今となってはど んな物を食べ、 どんな遊びをし、 どんな話をしたのかはすっかり忘れてしまったけれど、 あの時に感じた森に吹く風は今も憶えている。 家族みんなで川辺に腰掛けて両足を冷たい水に突っ込んで、 ゆる やかに流れる川を眺めた。 しばらくして森の木々がざわめくと涼しい風が吹いてきた。 やがて僕は目を閉じて風だけを感じた...。 あの何とも言えない感覚。  僕のすべてが満たされて心地良かった。  それが幼い頃の幸せな記憶のひとつとなった。  あれから随分と時は経ったが、 風が与えてくれたあの感覚を求める自分がいる。 

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