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7月 22, 2020の投稿を表示しています

Vol.5 「はじめての労働」

マイクおじさんの風の吹く場所へ   Vol.5 「はじめての労働」  少年の頃、毎年夏になると決まって  糸満にある祖父母の家に一週間ほど寝泊まりしていた。   1960年代、糸満は大層賑わっていた。   漁師町特有の荒っぽい猥雑さがあり 那覇とは異なる活気があった。   漁師の数も今よりはるかに多く、 魚市場は人で溢れて、  当時あったクジラ工場には地元民だけでなく、  本土からも技術者が多く集まっており、  町には飲み屋がずらりと並び、 まだ映画館もあった。   僕が糸満へ行くのには目的があった。   それはオバアが営む食堂があるからだった。   場所は糸満0番地。   名は平和食堂。   人気メニューは 沖縄そば、味噌汁、チャンプルーなど オキナワンスンダード。  客は威勢のいい  ウ ミ ン チ ュ ( 漁 師 ) や   魚 市 場 で 働 く ア ン マ ー ( 母 )、   頭 の 上 に 魚 な ど 商 品 を の せ て 売 り 歩 く カ ミ ア チ ネ ー ( 女 性 の 行 商 )、   そ し て 町 の ア シ バ ー ( 遊 び 人 )、  ニ ー セ ー タ ー ( 若 者 た ち ) だ 。   ちなみに0番地とは、  戦後のドサクサにまぎれて個人が無断で埋め立てた「無願埋立」のこと。  当時の糸満ンチュたちは、 野山を切り開いて家を建てるように 海を切り開いたという。  0番地は気概のある糸満ンチュたちの フロンティア・スピリッツを示した場所だった。  平和食堂はオバアと近所のアンマー2、3人が切り盛りしており、  店内はエネルギッシュな糸満ンチュの熱気で包まれていた。   僕はその雰囲気が気に入り、  朝から晩まで料理を作るオバアたちや 食事をするお客さんたちを眺めていた。   僕のオバアは背が高く骨太で恰幅の良い女性で、  後ろから眺めると彼女の背中はとても大きかった。  僕はその背中に信頼と安らぎを感じていたと思う。  その日も僕はいつものように店内を眺めていたが、  それだけでは 何だか物足りなくなっていた。   つまり働きたくなったのだ。   大人になった今の僕なら、  少年マイクにこう言うだろう。   「おい