Vol.16 「怠惰な学生、勤勉な生活」
「大学生の本業は学問である。一定の理論に基づいて体系化された知識と方法を身につけるのが、本来の目的である」桜が満開になる頃によく聴くそんなスピーチを、うっかり寝てしまって聴き忘れたのだろう。僕は学生本来の目的から遠く離れ、バイトに明け暮れていた。
バイト先は某一流ホテルの配膳係だった。時給がいいので毎年何百名と応募があり、その中から選ばれるのも大変だったが、仕事も大変だった。一流のサービスを提供するという立場が、バイト生の多くをストレスで苦しめていた。辞める者も多かったが、僕は技術力を向上させて時給をあげていった。絵に描いたような厳しい競争社会を僕はゲームのように楽しんでいた。気づけば550円だった時給も、いつの間にか最高となる1400円にアップしていた。
仕事に慣れてくるとホテル全体が居心地の良い場所に変わった。社員食堂も安くて品揃えも充実しており、時には朝も昼も晩もそこで食べていた。シャワーも仮眠室も完備しているのでアパートに戻る必要も最低限だった。職場にいれば金も貯まる一方だから、可能な限り勤務時間を入れて貰い、社員並みに働いた。日々夢中で働いていると「マイクは勤勉だな」と社員に認められた。勤勉と言われるとそうかも知れないが、実は単純に楽しかっただけである。
楽しい仕事にも面倒なことはあった。例えば厨房係だ。僕たち配膳係は、厨房係とは密な関係であるため、連絡事項や確認事項が多かった。面倒なのはやりとり自体と言うより精神的な面である。厨房は配膳以上に戦場のような場所で、働く者は皆、そんな現場で生き残った人々であり、気が強くて荒っぽい者が多かった。喧嘩も日常茶飯事で、時には先輩コックが部下をナイフで刺すという事件もあったほどだ。コックたちの機嫌を損なえば、あからさまに嫌がらせを受けた。声をかけても無視されるのは序の口で、仕事の邪魔をされることもあった。だから機嫌よく働いてもらうために丁寧に接していなければならなかった。逆を言えば、厨房係と仲良くなるとさらに快適なバイト生活を送ることになる。
「おうマイク、これ食ってみろよ」「おうマイク、これは今が旬だぜ。一口食べてみろ」「マイク、こっち来いよ。なかなか手に入らないシロモノだぞ」「(小声で)これ内緒だぞ、チーフに知れたら俺のクビが飛ぶ」僕はいつの間にか厨房係たちとも仲良くなり「日本有数の高級料理を最もつまみ食いする男」となっていた。沖縄出身だったことも仲良くなる理由だった。当時、沖縄の人はまだ珍しく、同僚たちは事あるごとに僕に話しかけてくれ、いろいろと教えてくれた。仕事仲間と六本木界隈を飲み歩たり、競馬や麻雀をしているうちに僕も東京が好きになっていった。沖縄という小さな島と違って電車を乗り換えればどこまでも行くことが出来るのが楽しくて、仕事休みには適当に電車に乗って適当な場所で降りてはその周辺を散策していた。東京生活も大いに楽しみ、金も使うようになっていたが、バイト生活が充実したため、アメリカ旅行には既に十分の金を貯めていた。
よく晴れた風の吹く午後、僕はレポートを提出するために電車に乗って大学に向かっていた。学生運動の影響で試験はほとんど無くなり、レポートを提出すれば誰もが進級できたのである。僕は久しぶりに大学の門をくぐったが、目の前の景色はまるで目に入らなかった。僕はその先、ずっと先を見ていた。そして翌日にはアメリカへ出発したのである。光に溢れた大学 2 年の夏のことだった。