Vol.18 「僕はアメリカン・ガーデナー(見習い)」
夏が終わりに近づいていた。それは旅の終わりでもあった。アメリカ滞在最後の1週間は、瀬良垣さんの仕事を手伝うことにした。彼の職業はガーデナー(庭師)で、その作業現場はどこも広くて、庭と言うよりは公園に近かった。
現場には古いピックアップトラックに乗って移動した。途中で助手のメキシコ人が2人、同乗した。到着した場所は、ビバリーヒルズの豪邸だった。持ち主はアメリカ人なら誰もが知っているセレブたちで、映画に出てくるような豪華絢爛な世界に圧倒された。仕事とはいえこんな美しい場所で作業をするのは楽しかった。ランチタイムに芝生に座って食べていると、美術館の庭園でピクニックをしているようで、贅沢な気分が味わえた。ランチは瀬良垣さんの奥さんが作ってくれた弁当を食べた。中身は決まってブリトー(時々はサンドイッチ)で、それにリンゴが一個ついていた。共に働くメキシコ人はいつもブリトーだった。今では日本のコンビニでも当たり前に売っているメキシコのメジャー料理だが、僕はそこで初めて食べたと記憶している。小麦粉で作ったトルティーヤにいろんな具材を巻いて食べるシンプルな料理に魅了された。具材はビーフやチキンなどの肉類に、旬の野菜を挟むのが多かった。他にも米やインゲン豆、トマト、サルサ、チーズ、サワーソースなど、自分の好みの具材を巻いて食べるのだという。慣れてくると小さな発見をした。メキシコ人の食べるブリトーはいつも豆しか入っていないのである。一見、同じような形をしたブリトーだが、中身は生活レベルによって変わるのだった。メキシコ人は豆だけで腹を満たすと、また黙々と働いた。
ビバリーヒルズの様々な豪邸で仕事をしたため、セレブの生活も垣間見ることが出来た。驚いたのは、セレブたちは家のためなら湯水の如く金を使うことだった。生活補助のために雇う人々の賃金や、邸宅のメンテナンス費用だけでも高額だが、その庭にあるものも豪華だった。プールがあり、ジャグジーがあり、テニスコートがあった。さらにトップクラスの大邸宅になると、それらにプラスしてローズガーデンがつく。まあ、バラでなくてもいいのだが、ガーデンがあれば迷うことなくトップレベルの富裕層だった。ガーデンでは週末ごとにパーティを開くという。半端な維持費ではないのだろう。しかしそれが一流の証となるのだ。
「一流の者は何でも一流を使う」。その言葉をアメリカで学んだ。瀬良垣さんは腕の良い職人だからこそ、ビバリーヒルズでの仕事があったのだ。うまく英語が話せなくとも、仕事の腕が良ければ認められるし、同じ仕事内容でも報酬に差がついた。実力があればそれだけ上を目指すことが出来るハッキリした世界だった。僕はセレブたちの広大な豪邸に座ると、ブリトーの中身を豆からトリュフに変わる遠い日を夢見たのだった。旅はあっと言う間に終わり、僕は瀬良垣さん一家にお礼を言って帰国した。帰り際、瀬良垣さんは僕の庭師としての働きぶりをとても喜んでくれて、最後には「また来いよ」と日本語で言ってくれた。
帰国するとすぐにバイトの鬼と化した。ふたたびアメリカへ行くためである。大学へは行かず、バイトだけに明け暮れていた僕をあざ笑う者もいた。「マイクは何のために大学生になったんだ?」と疑問に思う人もいた。ある時、友人がそばに来て「なあマイク、大学生活は人生最大の休暇と呼ぶヤツもいる。そんな最高の時代を楽しまないなんて後悔するだけだ」と言った。僕は「後悔するかも」と苦笑いでごまかした。もちろん、後悔することなど1ミリたりとも思ってはいなかった。僕のアメリカへ対する想いは「人生最大の休暇」以上に楽しかったのである。僕は夢中で働いて金を貯め続けた。おかげで次の年には3ヶ月以上の長いアメリカ滞在をすることになる。夢はそこまで来ていると実感していた。今度の旅は大陸横断だった。