Vol.21 「ダラスの熱い日」
バスは荒野を走り続けていると、白い砂塵の中からダラスという大きな街が現れた。僕は予定通りここで下車した。ダラスでの目的は、アメリカで最も人気の高かった大統領、ロバート・ F ・ケネディが暗殺された場所を見たかったからだ。少年の頃、そのニュースを聞いて「アメリカで一番偉い人が殺された」と、衝撃と共に記憶に残っていた。ダラスは軍事産業や油田で繁栄し、その後も続々と大企業が集まってきた経済都市としての印象が強い。テキサス州はアメリカでも二番目に大きな州で(一番はカリフォルニア州)、その面積は日本1.8倍もある。現在は日本企業のトヨタも進出している。そのせいか通りでもよく日本人を見かけ、ダイソーや紀伊國屋、牛角にくら寿司もあるそうだが、僕が訪れた時代は日本人を見ることはなかった。ちなみにダラスはセブンイレブン発祥の地でもある。とにかくやたら大都会なので、僕はいろいろと観光しようと計画を立てていた。
最初に訪れたかったのは、やはりケネディ大統領が暗殺されたディーリープラザナショナルヒストリックランドマークディストリクトという、やたらと長い名前の場所だった。目的地の名前を覚えられないから迷子になっては大変だと、わずか徒歩5分という近場のホテルを予約していた。ホテルで少し休憩し、そろそろ出発しようかと思っていた矢先に僕の体内に異変が起きた。バスに長時間も揺られていたからか便秘になってしまったのだ。確かにバスでもお腹の具合が気になっていたし、体の不調も気になっていた。それが次第に重く鈍い痛みとして現れだしたのだ。「とにかく出すものを出して、さっさと出かけよう」。僕はまだ楽観的な気持ちでトイレに向かった。
結局、僕は1日中ホテルの部屋(正確に言えばトイレ)にこもり、ひたすら力を振り絞った。本当に1日中だ。腹痛はどんどん酷くなり、吐き気にも襲われた。玉のような汗が大量に飛び出したが、便は飛び出なかった。永遠と思われるほどの時間を便器に座り続けた。「このままここで死ぬのではないか?」と思えた。苦しみが続く中、僕はひたすら便座の壁を見つめていた。原因を考えてみた。それは今回の旅行での食生活に関わる重大なことだった。理由は少しでも長い時間をアメリカで過ごしたいためだった。手持ちの金は決まっているため、お金を節約した分だけもっと長く、もっと遠くへ行けるのも楽しかった。そこで真っ先に予算が削られるのが食事だった。夕飯の多くがスーパーで半額になったサンドイッチや弁当だった。あとはバナナぐらいなものだ。半額物の中には賞味期限の切れたものもあったのだろう。確かにダラスに着く前にバスの中で食べたサンドイッチはお世辞にも美味いとは言えなかった。賞味期限の上に前日から取っておいたのも良くなかったのだろう。「ああ、あのサンドイッチか...」原因が分かって安心した。しかしその程度の安心では便秘による無限の不安と苦しみが改善される訳がなかった。昼間のダラスはかなり暑く、狭いトイレの中はサウナ状態だった。夜になっても僕は便器に座っていた。ポタポタと足元に落ちていく汗を見つめていると、何だか悲しくなってきて、涙が出そうだった。僕は一生涯分、トイレの壁を見つめた。それから人間の孤独について考えた。当然だが、僕は長い名前の場所へ行くことを断念した。
巨大な経済都市・ダラス。日本の面積の1.8倍もあるほどの広大な州。ああ、ダラス...。しかし僕はあの街の記憶がほとんどない。憶えているのは永遠の苦しみ。そしてトイレの壁のシミと、真っ白に輝いた便座だ。遠い異国の地で、ひとりぼっちで辛い経験をすることの、何と不安なことか。今となっては笑い話だが、あの頃のマイク青年には、このまま誰にも会わずに狭い便所で死んでいくような、絶対的孤独の状況だったのだ。僕はバスに乗り込むとダラスの思い出を水洗便所のように綺麗に素早く洗い流し、新たな土地に気持ちは向いていた。便は出ずとも前向きだった。僕は憧れの土地、ニューオーリンズへと向かった。