Vol.14 「幸福な時代の沖縄の青年」
ハイサイ、マイクおじさんです。
今の僕には遠い昔のことだけど、高校時代はホントに良い時代だ
ったと思っている。その中でも「自由」を体感したことは大きい。
それまでが偏屈な生活をだらだらと送っていたのだから当然だった
かも知れない。もちろん、自由には個人差もあるし、社会的基盤か
ら鑑みて判断されるのだろうから一概には言えないけれど。それで
もあの頃の僕は本当に自由だったと思っている。
前にも書いたけど通学ルートに国際通りがあって、僕はそこでい
ろんな経験をさせてもらった。大人の世界への憧れが強い年頃で、
煙草を吸いながら遊技場に出入りしていた。
ビリヤード場は薄暗い間接照明と煙草の煙が充満しており怪しい
魅力があった。ゲームは金を賭ける「賭け玉」が当たり前で、それ
に熱中するあまり借金を背負って学校を辞める学生もいた。
街の誘惑に溺れていった生徒もいたが、僕はそれらに熱中する訳
でも拒否する訳でもなく、ただクールに受け入れていた。
煙草はウィストンやケントなど洋モクが人気で、金のない僕らは
小銭を出し合って購入しては、喫茶店で吹かしていた。珈琲を飲み
ながら煙草を吸うと、何だか大人になれた気がしたのだ。実際、味
はどうでも良かった。僕が珈琲の美味しさを知るのはまだ先の話だ。
誰かが家にある酒を盗んでは、みんなでまわし飲みをした。洋酒
は高級品だから、よく手に入るのは泡盛だった。今と違って臭いが
強烈で、そのままでは飲めずにベストソーダを混ぜていた。ちなみ
にベストソーダとは 5セントで買える色とりどりの安物ジュースで、
飲むとかき氷のシロップのように舌がジュース色に染まった。その
頃は「健康」に気を使う人もまだ少なく、僕たちは当たり前のよう
に合成着色料満載飲料水を嬉々として飲んだ。
ロックを聴きに初めてコザへ行ったのも高校時代だった。友人の
ひとりが兄の車を借りて(聞くと無断借用だった)、みんなぎゅう
ぎゅう詰めになってドライブした(聞くと無免許運転だった)。
コザはロックが主流でどのライブハウスも人で埋め尽くされ賑わ
っていた。生で聴くロックに圧倒されっぱなしだった。会場の盛り
上がりは異常で、エネルギーに満ち溢れていた。僕らは大音量の激
しい曲を聴きながらビールを飲み、大声で声援を送り、野次を飛ば
し、その空間に酔った。
初めてポルノ映画も観た。それはまだ1年の時で「私は好奇心の
強い女」という映画が上映されたのだ。「私は好奇心の強い高校男
児」などと血気盛んに(内心はドキドキしながら)劇場に足を運ん
だ。
これが想像を絶するツマラなさだった。哲学的というか前衛的と
いうか、登場人物がやたらと小難しい話に終始していた。物語も暗
いだけで内容もサッパリ分からず、ポルノと呼べるものではなかっ
た。これほど作る側と観る側の思惑が乖離した映画もないだろう。
鑑賞中は自分が修行僧のように感じた。興奮は消えて無心となり悟
りを開くかの心境だった。まーとにかく、大人になるには苦い経験
も必要だったのだ。
そしてあの豊かな時代に最も印象深く記憶に残るのは「誰もが自
分の考えをキッチリと持ち、シッカリと意思表示をしていたこと」
だろう。
みんなが勝手気ままに意見を交わし、本気で話し合い、熱くなる
と朝まで語り、時には喧嘩にもなった。誰かの意見に従う場合もあ
ったが、正しい意見をみんなで追求し、折衷案を出し、より良いア
イディアを探した。
分かりあえることは大切だが、分かり合えないことを知ることも
大切だった。理解できなくても互いを認め合ってしまえば、誰かを
非難することもなく共存することが出来た。
人間は多面的であり、多様であり、簡単に分かり合えるものでも
ない。それでもバラバラな人間がバラバラに生きていることを認め
ていくことが、大切なことだと学べた気がする。
いろいろとバカで間抜けなこともやってきたけど、いつも熱い想
いだけはあったと思う。成功も失敗も、酸いも甘いも、いろいろと
経験したことで、自分の中に尺度が生まれ、世の物事を自分自身で
測り、決めていくことが出来るようになった。
そんな高校生活は瞬く間に過ぎていった。と同時に、これから先
のことを考えるようになり、いつしか遠い海の向こうに思いを馳せ
るようになっていた。